- 枡形
- 2014年06月18日
カラ梅雨の後で、ちょうど良い位ちょっと雨が降りました。
桃の木の少し大きくなった実には次々と袋が被せられてゆきます。
ひよどりの今年一番最初の雛が巣立って、ぴーぴーと大きな声で鳴きながら、親鳥の後を一生懸命に飛んでゆきます。
枝に止まり損なっては、ずる・・と痩けて、その都度親鳥は辺りに気を配り、雛鳥を安全な枝まで誘導してゆきます。
頭上では猛禽類の鳥が輪を描いて飛んでいます。
自然界の命の物語です。
馬籠宿は恵那山麓に抱かれる場所に位置しています。
と、同時に中津川市の中心部からでも概ね15分程の場所でもあります。
市街地の直ぐ側にも関わらず、標高600m程の山の尾根の鞍の部分に馬籠宿は位置しているので、市街地から登ってくると、その違いがよく分かります。
どうして江戸幕府はこの場所を選び、中山道を通したのか?いつも「理由は何だろう・・・」と考えます。
一番大きな理由は「江戸に向かって西から敵が来にくい」天然の要塞、という事が考えられます。
同時に「恵那山等の山の展望が良い」という風光明媚な場所であるという事も考えられます。
また、恵那山は花崗岩質で岩が脆く崩れ易い為、比較的標高が低い馬籠峠を選んだ、という事も思いあたります。
西から天気が崩れる際の雲の通り道から外れているので、悪天候に見舞われるのを遠望からでも察知できる、という理由もあるかもしれません。
皆さんも馬籠宿を訪問された時に、ちょっと考えてみませんか?
馬籠館の本館と別館の間に通る中山道ですが、この場所は「石屋坂」と言う名前が付いています。
名前の由来は??、とこれもよく考えます。
馬籠館のある辺りから展望台までの間は、明治時代の大火で殆どの家は焼けてしまい、現在の家並みはその当時に復元して立て替えられた家並みです。
一方で、馬籠宿から落合宿に向かう荒町界隈では築300年程の民家が現存しています。
旅館等では無く、普通に暮らしていらっしゃる「家」なので公開はされていません。
街道を歩きながら、江戸の雰囲気をお楽しみ下さい。
馬籠宿は「山の坂」の宿場町です。
そんな山の自然の起伏を利用して作られた「枡形」の急勾配は登ってみると「坂の宿場」が良くわかります。
登った所から見える恵那山を古の旅人も望んだ・・・と思えば、木曽路の旅が始まる瞬間です。