馬籠宿の観光の際のお食事、軽食、お土産は馬籠館へお越しください。駐車場完備。

馬籠宿の紹介

江戸時代の参勤交代で多くの人が行き交った、中山道の宿場町 馬籠宿。その石畳の坂の街道は、今も江戸時代の面影が残ります。島崎藤村のゆかりの地としても有名な馬籠宿は、島崎藤村の生家で、馬籠宿本陣跡である藤村記念館も残っています。 歴史を感じる散策を楽しんでみませんか。 また馬籠宿と落合の石畳は中部北陸自然歩道のウォーキングコースにもなっています。 恒例となった岐阜県主催、岐阜の宝もの「中山道17宿歩き旅」は10月〜11月初旬にかけて馬籠宿内でも多くのプログラムが開催されます。   毎年11月は月間を通して「馬籠宿場まつり」が開催されます。   「皇女和宮降嫁行列」、秋の夕暮れの馬籠宿をほのかな灯りで照らし出す「灯り街道」「島田公園紅葉ライトアップ」等が開催されます。 また厳冬期の1月末〜2月初旬にかけて木曽路をリレーする、「氷雪の灯り祭り」も開催されます。

馬籠宿のみどころ

桝形、水車小屋、常夜灯と阿弥陀堂

水車小屋(馬籠ミニ発電所)
馬籠宿下入り口より「車屋坂」を進むと、右手に「阿弥陀堂」があり、そこから急峻な坂道が2度に渡り90度に折れ曲がっています。 戦国時代直後の初期江戸時代、徳川幕府は国内全ての街道の宿場町に敵の侵入を拒む「桝型」と呼ばれる軍事要塞機能を持つ場所を必ず設置しました。道の山手側は城郭建築の様に石垣が築かれています。 馬籠宿の桝形は狭い山の尾根の地形を巧みに利用して作られています。 桝形のある車屋坂の名前は一説には水車があったので車屋坂と呼ばれた、と言われています。 明治13年に明治天皇の行幸に随行した岩倉具視の人力車が,この坂で止まりきれずに家に突っ込んだ,というエピソードがあります。 1つめの桝形の角に阿弥陀堂があり、天台宗京都大原三千院ゆかりの阿弥陀堂と言われています。 2つめの桝形の角に馬籠宿のシンボル「大きな水車小屋」があります。 桝形の脇には江戸時代の夜間の街灯であった「常夜灯」があります。 現在、水車小屋内には既存の水車を利用し、平成22年3月に総務省の「緑の分権改革」推進事業を受け「小水力発電設備」が設置されています。 発電量は0.9W。発電された電気は、水車小屋のライトアップ、水車小屋 の室内照明、常夜灯、ディスプレイの電力に使用されています。 馬籠宿下いる入り口から水車小屋までの坂道は「江戸時代に通された階段の道」と「明治時代に改修された道」が並んで通っています。 桝形の坂道を登りきった場所から振り返って望む恵那山は、旅情を掻き立てます。

藤村記念館

藤村記念館
文豪 島崎藤村の生家で、馬籠宿本陣跡でもある、藤村記念館。 昭和27年に藤村の長男雄氏より多数の資料の寄贈を受け、文学館となりました。 昭和30年に「島崎藤村宅(馬籠宿本陣)跡」として県指定史跡に指定。 江戸期の建築物「隠居所」と共に「屋敷礎石」「石垣」等かつての建物群の所在を示す遺構が有ります。 館内には処女詩集「若菜集」をはじめ「嵐」「夜明け前」そして絶筆の「東方の門」までの全ての直筆原稿、資料、遺愛品、明治大正詩書稀覯本コレクション等約6000点を所蔵展示しています。 記念館は東宮御所、迎賓館、帝国劇場、慶応大学、東京国立近代美術館、ホテルオークラの設計で知られる、文化勲章受賞建築家、博物館明治村初代館長でもあった、故:谷口吉郎博士の設計。 寺院回廊建築様式を取り入れた造りになっている。 有料施設 大人 550円 団体割引有り      子供 100円

観光案内所

観光案内所
馬籠宿の中間地点にある、馬籠観光案内所。各種観光パンフレット設置。 馬籠宿、木曽路観光、及び馬籠宿周辺観光案内等の総合的な観光案内全般を行っています。 馬籠宿ー妻籠宿間の手荷物お預かりサービスの受付、完歩証明書の発行、熊よけの鈴の貸付も行っています。 コインロッカー、赤ちゃんとお母さんに優しいお手洗い等も設置されています。 {詳細情報}
名称馬籠観光協会
営業時間午前8:30〜午後5:00
住所岐阜県中津川市馬籠4300
電話0573-69-2336
FAX0573-69-2653
mailinfo@kiso-magome.com

馬籠脇本陣資料館

馬籠脇本陣資料館
本陣跡の島崎藤村記念館より少し坂を上がった場所にあります。 屋号を「八幡屋」と称していました。 館内に江戸時代の大名が利用した「上の間」を忠実に再現した部屋があります。 蜂谷古文書と言われる「蜂谷源十郎覚書」等も展示されており。島崎藤村が「夜明け前」を執筆する際に資料として利用しています。 また亀甲形の石を積み上げた江戸時代宝暦3年(1753年)の改築の際に組まれた坪庭の「玄武石垣」が裏庭に現存しており、当時の緻密な土木技術を知ることができます。 玄武石垣の名前は方角が北を向いている、積み石が六角形の亀甲型をしている事から名づけられたと言われています。 「米俵一つ石一つ」と言われた当時に高価で非常に手の込んだ石垣を作らせた事が伺えます。 {本陣、脇本陣について} 本陣は天皇勅使、公家、大名、公用幕府役人を対象にした最高位の宿泊施設。 脇本陣は前記の高位対象者以外にも一般旅行者も宿泊を許されていました。 本陣脇本陣は特権として「門、玄関、書院」を設ける事ができました。 通常は高位の方達の宿泊が1つの宿場内で重ならないように事前に日程調整が行われていましたが重なる日程となった場合、より高位の一行が本陣で宿泊する決め事があり、天皇勅使が最高位とされていました。 高位の一行が3つ重なった場合は宿内の寺院が次位の本陣の代用とされる了承があったそうです。 有料施設 大人    300円 団体割引有り。 小・中学生 100円

馬籠宿高札場(御札場)

馬籠宿高札場
馬籠宿上入り口、陣馬展望台登り入り口付近。 江戸時代の代表的な高札の正徳元年(1711)の5枚の高札(忠孝、切支丹、火付、駄賃、毒薬)が当時の木曽代官からの布達そのままに復元されています。 高札:当時の法令を往来等に掲示し民衆に広く周知させる方法

馬籠陣馬上展望広場と馬籠城

展望広場
馬籠宿上入り口より数百メートル程妻籠宿方面へ坂を上がります。広大な恵那山を一望の元に眺められる、広く開けたビューポイントです。 晴れた日には中津川市、恵那市の遠望や夜景も望めます。 「陣馬上展望広場」は戦国時代の天正12年(1584年)の「小牧、長久手の戦い」で徳川家康方の連合軍が馬籠城攻めの為に陣を張った史跡。 {馬籠城} 当時の城主は木曽氏家臣島崎重通。 重通は戦火を交える事無く妻籠城へ逃れた。 馬籠城は馬籠宿下入り口より徒歩5分程。現在は城の遺構は無く、案内版のみ。 島崎重通は文人島崎藤村の祖先とされています。 江戸時代に入ると、中山道を通す際に徳川幕府は島崎氏一族に馬籠宿の開発に従事させ、その後本陣を預けた、と史書にあります。

馬籠城跡

戦国時代の山城跡。現在は築山の形のみ残っている。

落合の石畳(国指定史跡)

江戸時代に敷かれた中山道の街道の石畳が現存しています。

馬籠宿下町展望台

中津川、恵那方面の開けた展望が望めるサンセットポイント。 山深い木曽路がここから始まる様子がわかります。

その他の馬籠宿お立ち寄り処

五輪塔 中津川市指定有形文化財(建造物) 鎌倉時代〜室町時代後期ごろの寺院跡。 一説には木曽義仲の菊姫が義仲の菩提を弔う為に建てたとも言われている。 永昌寺 永昌寺は島崎藤村の小説「夜明け前」に万福寺として描かれており、藤村や親族の墓所もあります。 青面庚申塔、木造阿弥陀如来像、木造阿弥陀如来像、木造阿弥陀如来像、紙本墨書大般若経 等の中津川市指定文化財があります。 臨済宗派の禅寺。座禅体験可能。

馬籠宿の歴史

MAGOME get the single star with TSUMAGO in MICHELIN GREEN GUIDE JAPON, and it is taken up well the foreign media often ,and introduced as heartful place of old Japan in kisoji-Nakasendo.

「血につながる、心につながる、ことばにつながる、ふるさとがある」
There is a hometown leading to words to lead to a heart to lead to blood.
( by Shimazaki Toson : Japanese well-known great writer who had born in MAGOME-juku)

 

晩年馬籠に帰郷した藤村が神坂小学校の講堂で壇上に上がったが、なかなか語を発しない。
集まった誰もがどんな事が語られるのかと、その深い沈黙の中で一身に耳を傾けて藤村の最初の語を待っていた。
暫くして、藤村がぽそりとこの一文を語った。
沈黙の空間は静かな感動に溢れ、沈黙の空間は多くの静かな美しい涙で溢れた。

「島崎藤村事典 改訂版』(明治書院)の馬篭(まごめ)の項にこの言葉のいわれが書かれています。
この言葉は馬籠で藤村が講演を行なった時の言葉です。


江戸時代の参勤交代で約30の諸大名家の参勤交代路として多くの人が行き交った、中山道の宿場町 馬籠宿。

落合宿と馬籠宿間の落合の石畳の坂の街道は、今も江戸時代の石畳の路が有り、森深い山中に当時の面影が残ります。

そして、日本を代表する文豪島崎藤村生誕の地としても有名な馬籠宿は、藤村の生家で馬籠宿本陣跡である藤村記念館があり、藤村の足跡を辿る事ができます。


江戸期には、海沿いを通る東海道に比べ、大きな川の増水や尾張藩熱田宿から伊勢国桑名宿までの遠距離の船の移動を嫌った皇族や大名家等の高貴な女性の長旅は、主に中山道が利用されていました。

中でも皇女和宮降嫁行列の3日間に渡る大行列の為に馬籠宿の中山道の道幅が大きく広げられた事は日本の歴史、そして馬籠の歴史を語る上で大きな出来事となっています。

一方で、馬籠宿から眺める恵那山の雄大で美しい容姿は、江戸時代の芭蕉派の俳人達によって多くの歌に詠まれ、また終の住処として多くの俳人が界隈に居住していました。

十辺舎一九によって書かれた中山道膝栗毛、浮世絵の名画伯北斎の浮世絵、江戸歌舞伎俳優の市川団十郎の手記等にも山深くなる往時の中山道や馬籠宿の山深い様子が様々に描かれています。

馬籠宿界隈は日本書記に既に神坂と記載され、また更に時代を遡ると諏訪地方との交易を示す縄文文化遺跡の痕跡も残っています。
その様な東山道と呼ばれた古代の道筋と江戸期に徳川幕府が敷設した中山道はやや道筋が異なりますが、奈良時代ごろには信濃へ抜ける為の大切な道がこの地域に敷設され、道に沿って人の暮らしが営まれ、当時の奈良や京都等の古都からの物や人が行き来する場所になってゆきました。

その為、江戸期以前の室町時代に、木曾義仲ゆかりの菊姫の開いた寺院遺跡も馬籠宿界隈には残されています。

そして、戦国時代が終わり、徳川幕府によって起伏の激しい山の尾根の地形を自然要塞にみたてた新しい宿場町として中山道馬籠宿が江戸より数えて43番目に置かれ、美濃国美濃路落合宿と信濃国木曽路馬籠宿の国境の宿場と覚えられていました。

当時馬籠峠付近には「牛方」と呼ばれた長距離の荷物運搬を担う人々が住まい、急峻な中山道木曽路の旅の荷物の運搬のみならず。遠く長野善光寺や木曽川を筏で下り尾張藩まで運送を行なっていたという記述があります。 幕末にこの牛方衆が中津川の商人を相手に日本初のストライキを行なった様子は、島崎藤村の「夜明け前」にも描かれています。

明治時代に入り中山道が木曽川沿いに付け替えられた事で、馬籠宿は往来の無いひっそりしたと忘れられた地域となってゆきましたが、戦後のディスカバリージャパンムーブメントの中で国内屈指の観光地として再び脚光をあびる事となりました。

そしてこの時期に、貴重に残された地域全体を風致保存地域として指定、同時に住民憲章を掲げ馬籠宿全体の保護保全活動が積極的に行なわれました。

そして平成の馬籠宿は中央アルプスの最南峰、恵那山の雄大な自然と歴史街道を楽しむ広域的なフィールド博物館として、国内外から訪れる多くの方に「中山道ハイキングの拠点」と知られる様になりました。

県を跨ぐ平成の市町村合併期を経た現在の馬籠宿は、清流の国「岐阜の宝もの」中山道17宿のひとつに認定され、また読売新聞の「平成百景」にも選出されています。

また、フランスのミシュランタイヤが発行する世界的に有名なミシュラングリーンガイドブックではお隣の妻籠宿と共に一つ星を獲得し、それ以降多くの海外からの観光客の方が訪れる世界的な観光地のひとつと認識される様になりました。
同時に木曽川沿いに伸びる「木曽谷」エリア全域は国内でも数少ない二つ星エリアに認定され、馬籠宿は一つ星と二つ星のダブル受賞エリアにもなっています。

歴史と共に人に利用され、また明治以降は忘れさられた道となり一時は廃道同然となっていた旧中山道ですが、馬籠を生まれ故郷とする文豪島崎藤村は馬籠が「観光」を通して世界へ発信する場所になる、と既に戦前にその構想を高く掲げていました。

それから半世紀の時を経て、現在の馬籠宿は国際色豊かな観光地へと新しい顔を見せ始めています。

皆様、そんな歴史を感じながら馬籠散策を楽しんでみませんか?

落合宿~馬籠宿 ウォーキングマップ

中山道美濃路落合宿から中山道木曽路馬籠宿までの間は、江戸時代の中山道の石畳が残る歴史的遺産の道を歩く事ができます。
片道1時間~1時間半の行程のウォーキングにぴったりのコースです。
馬籠館のガイドツアーに参加した後は「そば処まごめや」で美味しいお食事をどうぞ。

落合宿~馬籠宿 ウォーキングマップ

落合宿から落合の石畳までの中山道は国史跡指定区間(National Historic Site)です。
ご案内:落合宿ー馬籠宿の新茶屋までは公衆トイレはございません。

馬籠宿エリア内では新茶屋、馬籠観光案内所、馬籠峠にWI-FIスポットがあります。

ご利用料金1個 500円(荷物サイズの大小は関係無)
ご利用区間馬籠宿から「大妻籠」又は「民宿 庚申塚」又は「妻籠観光協会」いずれかの1つの目的地まで1回限り、片道のみのご利用になります。
受付期間平成24年7月19日 ~ 平成24年11月30日までの期間で毎日運行
受付時間馬籠館 別館  午前9時 - 午前11:30
馬籠観光協会  午前8:30 - 午前11:30
但し馬籠宿に11:40分到着予定のバスで来られる方のご利用は状況に応じて受け付け対応致します。
(当日のご連絡は、可能であればできる限り 「11:40分のバスで到着後手荷物預かりを利用する」旨を馬籠館別館0573-67-2212へ電話でご連絡頂きます様お願い致します)
ご利用方法馬籠館別館、または馬籠観光協会へ直接お荷物をお持ち下さい。
受付手続きを行い、荷物引き取り時にご提示頂く引換券をお渡しします。
手荷物お引き取り時間受付当日と同日の午後1時以降午後5時までの間(各行き先共通)

ご注意:妻籠観光協会 TEL 0264−57−3123 は午後5時に閉館します。

ご案内その他ご利用についてのご案内、及びご注意事項については、手荷物預かり受付時にご案内致します。
その他上記以外の時間帯(目安時間:午後12時ごろ以降)で荷物運搬サービスのご利用希望の場合は馬籠観光協会のみで受付致します。
ご利用料金の目安はTAXI  1 台 3000円(荷物6個まで)追加荷物1個に付き500アップとなります。
尚、ご利用についての詳細事項、ご利用当日の手荷物運搬サービスTAXIのご予約及び実際にお支払い頂くご利用料金等については馬籠観光協会☎︎0573−69−2336へ直接ご連絡下さい。
◆馬籠館は午後12時以降の馬籠宿ー妻籠宿間の手荷物運搬サービスの受付のお取り扱いは行いません。

LUGGAGE SERVICE
to TSUMAGO 
to O-TSUMAGO 
to KOOSHINZUKA

SERVICE CHARGE A LUGGAGE = ¥500 (ANY SIZE)

Only payment in advance
Only cash payment ( No credit card )

AT MAGOME RECEPTION TIME MAGOME TOURIST INFOMATION CENTER
AM 8:30 - PM 11:30

MAGOMEKAN(annex)
AM 9:00 - AM 11:30

If you arrive at 11:40 to MAGOME by bus from JR NAKATSUGAWA(11:15 departure ) , luggage service is available in MAGOMEKAN still.
AT TSUMAGO, O-TSUMAGO, KOOSHINZUKA DELIVERY TIME TSUMAGO TOURIST INFOMATION CENTER
AFTER PM 13:00-PM 17:00
O-TSUMAGO,KOOSHINZUKA
AFTER 13:00~EVENING
About transportation of the luggage after AM11:30 ONLY MAGOME TOURIST INFOMATION CENTER,
is a reception place.

special delivery by a taxi =¥3,000
It is the price up to six luggage
more than 6 luggage ,
each bag +¥500 is necessary.

Japan Meteorological Agency
http://www.jma.go.jp/jma/indexe.html

Safety tips:防災情報配信アプリ(気象警報・地震情報・津波警報・噴火情報):対応言語 日本語 英語 繁体字 簡体字 韓国語:2015年9月現在
Android
https://play.google.com/store/apps/details?id=jp.co.rcsc.safetyTips.android

iphone
https://itunes.apple.com/jp/app/safety-tips/id858357174?mt=8

木曽路の観光

中山道木曽路の宿場町を歩いてみませんか。

水のライブラリー

木曽路巡りのキーワードをいくつご存知ですか?

木曽五木:木曽路の名産品の源材料、ヒノキ、アスナロ、コウヤマキ、ネズコ、サワラ
木曽の伝統工芸品:ひのき笠、ねずこ下駄、お六櫛、木曽漆器(うるし塗り)、ろくろ細工、曲げ物、樽・桶、へぎ板
木曽谷:延長約60kmのV字谷に沿って中山道が通る
木曽川:藪原宿の木祖村が水源地
恵那山:日本百名山 馬籠宿から眺める姿が一番綺麗、2191m
御嶽山:日本百名山 日本で2番目に高い山、3067m
是より北木曽路の碑:かつての美濃国と信濃国の国境、馬籠宿新茶屋にある。
馬籠宿の五平餅:団子型が特徴。
おやき:小麦粉・蕎麦粉の皮で具を包んだ軽食
中山道膝栗毛:著者 十辺舎一九 道中石碑多数
芭蕉:更級紀行、足跡の俳句碑多数
木曽義仲:木曽源氏、源義仲(朝日将軍)義仲ゆかりの史跡多数
朴葉巻き(菓子):男の子の節句菓子。朴葉で包んだ木曽の初夏の伝統菓子。
栗子(くりこ)餅:木曽の秋の和菓子。栗餡。
木曽馬:天然記念物の日本在来馬。7世紀頃、既に馬籠近くの恵那山麓「神坂」で飼育の記録あり。
木曽菜:冬の漬物用菜。別名「はとり」

尾張徳川家と木曽路

戦国時代が終わり、徳川家康により新しく江戸幕府が開かれた当時、木曽路一帯はまだ徳川幕府直轄所領地となっていました。
その後、徳川御三家の一つである尾張徳川家の直轄領地に木曽路一帯は組み込まれる事となり、 尾張藩は木曽谷一帯を万が一の尾張藩有事の際の最後の決戦要塞地、と認識すると同時に木曽の豊かな森林材木は尾張藩の財源を潤す事となりました。
余談ですが尾張藩有事の際の脱出経路は「名古屋城→大曽根下屋敷→勝川→定光寺→木曽」を表道とし、その他にも多くの道が用意され、各中継地点には 尾張藩家老成瀬家の配した帰農を装いながら藩主脱出目的の為だけに組織された、一群の特殊な異能集団の武士組織が世襲制で江戸末期まで配置されていた様です。
有事の際の「木曽」については四代藩主吉通の遺訓書「円覚院様御伝十五箇条」にも記載されています。

さて、江戸中期になると木曽の森林の乱獲が急速に進み、禿山同然に山は荒れ果て、結果木曽川が度々下流の尾張藩内の名古屋城下で大洪水を起こす様になった事をきっかけに、木曽の森の森林伐採に「留山制度」を敷き、厳しい定めを決める事としました。
「木一本、首ひとつ」と申し渡し「木曽五木のヒノキ、アスナロ(アスヒ)、コウヤマキ、ネズコ(クロベ)、サワラ」の切り出しを禁じ、その他の伐採した木を運び出す際には「白木改め」と称した番所が設置されていました。
馬籠宿ー妻籠宿の間の中山道にも当時の番所の遺構の「一石栃白木改番所跡」があります。
後には「クリ、マツ、カラマツ、ケヤキ、トチ、カツラ」も保護指定すると同時に伐採禁止地域の拡大を行い、尾張藩は江戸時代が終わるまで木曽谷一帯の森林を手厚く保護する姿勢を通しました。

尾張藩は自藩の財源地としてだけでなく、要塞地としても重要な木曽路の動向監視に常に重きを置き、その様子は尾張藩隠密 岡田善九郎が「木曽巡行記」で木曽路偵察の様子を詳しく記録に残しています。

明治維新以降も木曽谷の森の多くは民間に払い下げられる事無く(島崎藤村作の夜明け前にその時の木曽谷の様子が良く描かれている)そのまま明治政府の管轄下に置かれ、その後21世紀の現在に至っても多くの木曽の森が国有林となっています。
中山道木曽路11宿を取り巻く山々の自然が明治維新後の近代化の波に呑みこまれる事無く、奇跡的に江戸時代の雰囲気を色濃く留める事ができた事の理由のひとつが「尾張徳川藩の政策」がきっかけであったと思います。
江戸時代に尾張藩が「木曽代官」を通して木曽路に伝えた「森や土地、道を守る」考え方が長年を通して地域に根付き、その後現代の馬籠宿や妻籠宿等の宿場町の風致保存運動へと繋がっていった事は容易に想像できる事です。

民謡。民話・童話・伝説、史跡

「島崎藤村」の童話 ”ふるさと”
島崎藤村の童話「ふるさと」は藤村の子供時代の体験を元にして、江戸時代の雰囲気を強く残していた明治初期頃の馬籠宿の様子がよく描かれています。

「宮口しづえ」の童話:馬籠の小学校教師を経た後島崎藤村全集編纂室に勤務、赤い鳥文学賞受賞。

ひがし美濃の昔話

浦島伝説:乙姫岩にまつわる浦島伝説、坂下町の木曽川周辺。
狐膏薬:医王寺に伝わる狐の恩返しの膏薬、落合の石畳近く。
湯舟沢:天照大御神が生誕時に産湯を使った場所、中津川温泉クアリゾート湯舟沢付近。

民謡 木曽節と木曽おどり - 相許し候事の木曽踊り

木曽のナ〜中乗りさん、木曽の御嶽山は、ナンジャラホイ。
夏でも寒〜い ヨイヨイヨイ  ヨイヨイヨイのヨイヨイヨイ

木曽路各地で開催される夏の盆踊りの定番曲。今年はどの歌手の曲で木曽節を踊りますか?
上手に踊れなくても大丈夫。「許し免許」があるのが木曽踊り。
浴衣を羽織り、木曽のねずこ下駄を履いて、藪原のお六櫛を髪にさし、欄(あららぎ)のひのき笠を背に背負ったら、あなたも木曽っ子。

木曽節を歌った歌手:美空ひばり、香西かおり、五木ひろし、森昌子、三橋美智也。板取金一、谷龍介、合唱隊、ラップ木曽節
木曽節の楽器演奏:オカリナ、三味線、竹ホルン、クラッシックオーケストラ、スウィングジャズビッグバンドオーケストラ

「木曽踊りは、盆踊りの三要素である歌詞、音楽、踊りがそろっている。もっとも上品で面白く、もっとも芸術的な踊りは木曽踊りである」
故:宮内省楽部講師 渡邊尚雄

木曽路、馬籠宿を歌った歌謡曲

木曽路の女:原田悠里(1985年のミリオンセラー)、今年2015年春に「水森かおり」さんもカバー。
木曽は山の中:葛城ユキ(1974年ヤマハポピュラーソングコンテスト最優秀曲、世界歌謡祭入賞曲)
木曽の恋歌:ダ・カーポ
木曽の女:北島三郎
木曽の恋歌:藤あや子
馬籠宿:谷龍介

恵那山(胞山)

恵那山は江戸時代に馬籠宿が開かれた時を遥かに遡る時代より「馬籠宿から眺める恵那山が一番綺麗に見える」と誉れ称えられてきました。
またこの風光明媚な馬籠宿界隈からの眺めにひかれ、江戸時代には芭蕉派の俳人達が多くこの馬籠宿界隈に居を構えていました。
恵那山には恵那山にまつわる神話が数多くある事から、縄文時代より美濃と信州を結ぶ重要な交易の道筋がこの山を通っていた事が伺えます。
同時にこの地は抉れ易い岩肌、日本オオカミの群れの生息地であった為、江戸時代に中山道が敷かれるまでは、古の旅人達にとって旅の最難所の山と言われていました。
島崎藤村の「夜明け前」等の作品にも恵那山は幾度と無く描かれています。
現在の恵那山は山全体が国有林として管理されています。

中部森林管理局 http://www.rinya.maff.go.jp/chubu/index.html
林野庁 http://www.rinya.maff.go.jp

恵那山登山について

中津川市公式HP

恵那山の山の天気

小学生が登る日本百名山

国立天文台 天文情報

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馬籠館

馬籠館 〒508-0502岐阜県中津川市馬籠4571-1 
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