馬籠宿の観光の際のお食事、軽食、お土産は馬籠館へお越しください。駐車場完備。

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木曽路ラブロマンス
2015年08月30日
7月末の梅雨明けから概ね1ヶ月の8末。 再び長袖、靴下、薄手のダウンケットの寝具を引っ張り出して使い始めました。 梅雨明けに急激に暑くなり、そしてストンと涼しくなった感じです。 標高1000mを超える場所では気の早い桜等の樹木は「そろそろ・・」と秋支度を始めています。 そして中津川市辺りが気温30度だとすると、1000mを超える場所は既に気温は20度程=10度以上の気温差があります。 木曽路の少し標高のある場所にお出かけの際は、「秋の服」や「スニーカー」等の用意もお忘れなく!   さて、秋風はロマンチックなラブロマンスの話を誘います。 木曽川を舞台に木曽路でロマンチックな恋人同士が互いに深く支え合い、そしてその二人の軌跡が記念塔の様にいくつも残されている建築物群がいくつもあります。 そしてその建築物の多くが、21世紀の現代で私たちの生活インフラを根底で支えるとても大切な働きを担っています。   その一方で、それが故にその建築物が作られた事で馬籠宿や木曽路の暮らしが根底から一変してしまった、という木曽路の大変化の歴史とも深い関わり持ち、同時に馬籠宿、妻籠宿が急速な近代化の開発の波から逃れ、結果「ふるさと」の景観が色濃く残され現代に引き継ぐ事ができた、という歴史に繋がってゆきます。 風が吹けば桶屋が儲かる・・と言いますが、「すべての事は繋がっている」事を教えてくれる二人の親愛な恋人達の記念建築物群です。   そんな愛の記念塔の建築に奔走した二人の名前は「マダム貞奴:川上貞奴(かわかみさだやっこ)」と「福沢桃介(ふくざわももすけ)」。 明治〜昭和初期時代を代表する「伊藤博文や西園寺公望にも寵愛され、日本初の海外進出を果たした名女優であり実業家」と「福沢諭吉の孫婿で日本の電力王」の二人です。 二人の出会いは15歳の貞奴が乗馬中に野犬に襲われたのを慶應義塾大学の学生であった19歳の桃介が助けた時。 そして二人が結ばれたのはそれから30年も時間がたち二人が社会的な揺るがぬ地位と名声を十分に手にした後でした。   恋人同士の愛の出会いはよく「二人の間に何かが走った・・」と小説に描かれますが、そんなドラマチックな出会いをしたこの二人は木曽と都会(名古屋)の間に「電気を通す」という大事業を通して二人の愛の記念塔を木曽川にいくつも作りました。 その多くは「産業記念遺構」や「重要文化財」となり馬籠宿散策の後、車で30分程で移動できる場所にあります。   日本初の第一号大型水力発電所で名勝恵那峡の湖を伴う「大井ダム」(土木学会選奨土木遺産:関西電力大井発電所) 馬籠宿のお隣の落合宿近くの「落合ダム」(土木学会選奨土木遺産) 妻籠宿近くの「読書ダムと読書発電所」(国の重要文化材) 三留野宿近くの読書発電所建設の足がかりとして木曽川に架けられた木製の橋「桃介橋」(国の重要文化財) エメラルドグリーンの水が綺麗な柿其渓谷びかかる「柿其水路橋」(国の重要文化材)   そして二人が木曽路に滞在中に政財界の人物のもてなしの為の社交場であり、二人の愛の巣であった別荘の「福沢桃介記念館」 その他にも多くのダムが木曽川水系で作られています。 ※現在は関西電力が上記のダム・発電所を管理しています。   しかし、木曽川や木曽川水系に多くのダムが作られた事により「川狩り」と呼ばれる木曽の伝統風景の木材を山から下ろし木曽川の流れを使って下流の八百津町や名古屋港まで筏を組んで材木を運ぶ木曽の歴史が終焉を迎え、当時1000人以上が失職をし、また妻籠宿村長でありダム建設反対運動の旗手であった 島崎藤村の兄はダムが建設されてしまった事に失意を抱き村長職を辞したとあります。 その後木曽の材木輸送手段として数多くの森林鉄道網が築かれ、その後も多くの鉄道路線計画が立てられましたが、それも1960年代には自動車運送の発展と共にとって代わられ、多くが廃線や路線計画廃止の運命となりました。   マダム貞奴についてですが、アメリカ、イギリス、フランス等での演劇公演を通し、彫刻家ロダンから彫刻モデルの申し出を受けたり、フランス大統領エミール・ルーペの園遊会で娘道成寺を踊り、その後パリ社交界にデビューしジャパネスクファッションの「きもの旋風」を起こしたり、ドビュシーやピカソに絶賛されフランス政府よりオフィス・デ・アカデミー勲章を授与されたり、といった海外での活動と共に国内では帝国女優養成所や絹織物の会社を設立し女性起業家としても知られています。 (う〜ん、どこかオノ・ヨーコさん的な芸術的な日本人女性が既に明治・大正時代に既にいたんだ・・と感じました。) そして、貞奴はそうやって蓄えた彼女の私財を桃介の事業達成の為に惜しみなく「木曽川の開発」に資金援助、資金投入をした、と言われています。 また、貞奴が木曽路に来る都度、彼女を一目見ようと黒だかりの人となり、また滞在中ダム建設現場へは赤いオートバイを自ら走らせ、作業員が怯む目の眩む様な奈落の谷底へ率先して降りていったという「強い女 」としても語り継がれています。   インターネット、クラウド技術、ビッグコンピューター、といえども「大量の電気」がなければ動きません。 その電気も火力発電、水力発電、原子力発電、風力発電、地熱発電、波動発電、ソーラー発電、宇宙空間発電等を使い地球や宇宙から取り出して初めて「使える」動力となります。 情熱的な二人の愛が100年後の私たちの日々の生活の中で鼓動を打って生き続けている。 そんな風に永遠の愛を「電気」の中に閉じ込め、そして二人が愛してやまなかったであろう木曽路の景色の中に二人は記念塔をいくつも築いた気がします。   サムライの時代の中山道木曽路から「開国」「明治維新」「文明開化」「富国強兵」へと時代が変わり2度の大戦の後、1970年代半ばごろまで、この「木曽川のダム」によって時間が止まっていた馬籠宿、妻籠宿。 見方を変えると、これもまた二人の愛で静かに守られ続けた「秘密の園」の様な場所なのだと思います。 江戸の香りがする馬籠宿、と共に、近代の木曽路の変貌の歴史もまた「現代に生きる中山道木曽路」として味わっていただければと思います。 P1000430 P1060621 P1050642    

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