- 芭蕉
- 2016年01月02日
新春を迎え、新年の事始めの2日の日に「俳句」を読んでみよう、と硯・筆・半紙を取り出してきて座机の上に広げて、お気にいりの文鎮をどん、と置いて、さらりと一句。
・・・とはいかない時、う〜んアイデアを芭蕉翁から拝借・・と思い、そこでふと「そういえば芭蕉の俳句は随分と沢山の各国語に翻訳されているよね。」と、思い出しました。
The ancient pond, A frog jumps in ,Plop! 古池や蛙飛び込む水の音。
江戸は元禄時代のスーパースター、人気作家であった芭蕉の俳句は本当に沢山の他言語に翻訳され、そしてその翻訳も芭蕉の自由さを反映して、翻訳者それぞれによって慎重に単語が選ばれ、「芭蕉の世界観」が表現されています。
「俳句=HAIKU」は旅先等で、目に止まったり、心に触れた出来事を、言葉でちょっと記録する・・・差し詰め現代の「写真」や「録画」「録音」の様な役割を日本文化の中で担ってきた「記憶媒体」の役目を果たしてきた様な気がします。
不思議なもので海外にいる時程、心象風景を表現する時に何故か「俳句」風の5、7、5調に言葉を綴る
自分に「日本人のDNA」を思わず感じて、異国のカフェで思わずクスリと笑いたくなる事があります,
島崎藤村はフランスに長期留学する際に「芭蕉全集」を携帯してゆきました.
海外に持っていける「限られた荷物」の中で、藤村が日本を長期間離れる際に、「これは外せない、持ち出したい物」として「有名な作家」が自ら選び抜いた「今読みたい作家とその著作」です。
藤村はその「自分が一番気になる作家」について題名もそのままズバリと「芭蕉=BASYO」という短編を書き、その中で芭蕉がどれほど少年〜青年時代の藤村に多大な影響を与えたかを書き記しています。
その中で藤村は「芭蕉の散文には何とも言つて見やうのない美しいリズムが流れて居る」「芭蕉の藝術が、印象派風な蕪村の藝術とは違つて、soul の藝術とも呼んで見たい」と称えています。
また盟友の北村透谷が芭蕉のsilenceについて書き述べた文に対しても「あれは特色の深い文章であつた。」と芭蕉の俳句に潜む「空間の表現」の手法の影響があった事を示しています。
こういった事を始め、その他にも「芭蕉」について短編の中で藤村独自の感性と観察眼を持って「芭蕉」への賛歌を惜しみません。
リズム・サイレンス・ソウルな芸術・・・・・
あれ??現代の私たちが楽しんでいる様々な「音楽」や「芸術」の世界の話と何か似ているかも?と思う時、その始まりが江戸時代の日本で楽しまれていた「俳句」の中に既にあり、それを当時から楽しんでいたなんて「江戸の粋」はカッコよいな、と思います。
「言葉」の韻のリズムを音に乗せ、ソウルフルに歌い上げる、そして音楽が終わった後に広がる「感動の共有」という名の静かで豊かに満ちた空間=うん?現代のトップチャートを賑わす優れた芸術作品は全てこの「芭蕉の俳句」の要素が備わっている、と思いませんか?
藤村が愛した「芭蕉」は、優れた芸術家が到達し、それを多くの人に伝える事ができる「何かの力」を持った者同士が時空を超えて、語りかけた作品だと思います。
皆さんも今年は「俳句を一句・・・」いかがですか?
「平和の俳句」も中日新聞や東京新聞で公募されています。
そして・・・日本語だけでなく、英語で綴る俳句もなかなかに楽しいですよ!
Love Life Laughter Chuckle !
作:とざそし まき
※島崎藤村の作品「芭蕉」は青空文庫で無料で読む事ができます。
※「藤村どきどき」でこれまでにご紹介してきた島崎藤村の作品は、全て「青空文庫」で無料で読む事ができます。
過去ブログでもさらりと5分〜15分程度で読み切れる島崎藤村の作品を多数ご紹介しております。
馬籠宿散策のご休憩の際にどうぞ合わせてお楽しみ下さい。