- 旅の宿
- 2015年10月01日
夏の景色は静まり、虫の音は高く、秋が静かに歩み行く季節が巡ってきました。
随分と山の高いところから、次第に里に向かって色が広がってゆきます。
馬籠宿から大きく望む恵那山も、もう直ぐに錦絵巻の単を纏った様な装いに変わり、そして暫くすると山頂には早くも初冬が訪れます。
そんな自然の営みは江戸〜明治〜そして今でも変わらない、と考えると藤村もこの馬籠宿の季節の景色を同じ様に見ていたのだな・・と思います。
自然豊かな馬籠宿で生まれ育った藤村は自然の様に「変化」し続ける事を受け入れ、そして常に変化ある生き方を自ら選んでいたのだと思います。
そんな激しい生き方の藤村も変化の多い日常を離れ「旅」をする時、「旅の宿」で寛ぐひと時は変えがたい至福の時であったと思います。
そんな旅好きの藤村が、代表作の「夜明け前」に描いた宿が木曽の御嶽山の麓にあります。
藤村は御嶽山に何度も足を運び、この宿に好んで寄った、とあります。
御嶽神社を代々守り抜いていらっしゃる宮址様が営んでいらっしゃる「滝旅館」は「夜明け前」では宮下家として当時の王滝村の様子と共に「代々の暮らし」の重みを感じる、と描かれています。
7世紀に開山され、江戸時代に木曽路が賑わいを見せると共に「御嶽山」へ祈りを捧げる「御嶽信仰」が盛んになり、その頃から続く歴史を持つ宿、と宿の案内には記されています。
そんな多くの御嶽の「行者」が通った御嶽神社に「天狗」の絵が描かれたものがあります。
藤村はその絵を「夜明け前」で「耳のあたりまで避けて牙歯のある口は獣のものに近く、隆した鼻は鳥のものに近く、黄金色に光った目は神のものに近い」と書いています。
木曽路に伝わる「不思議伝説」のシルバーグレーに光る肌色をした「天狗」絵を見た藤村は何を思ったのでしょうか?
また、藤村は夜明け前で「正月の三日の晩です、この山の東の方から光ったもの が出て、それが 西南 ( にしみなみ ) の方角へ飛んだといいます。見たものは皆驚いたそうですよ。」といった事を序章で描き、読者をその後の章に現れる寓話的な「木曽路の不思議伝説」の話へ導く導線を含ませています。
藤村は「夜明け前」の執筆に取り掛かる前、非常に多くの時間をかけて、馬籠や木曽の資料を検証・研究したと言われています。
そして、伝承として伝わっていた童話、史実として記録された事を様々に織り交ぜ、どんな類の話も区別せずに「木曽路」を描いていったのだと思います。
そんな不思議な話が伝わる木曽路ですが、現代では御嶽山周辺の三岳や上松に東大・名大の宇宙観測施設がある事を考えると、日本で2番目に宇宙に近い山の「御嶽山」に「不思議伝説」が舞い降りていたとしても、何ら不思議ないな・・・と思えてしまうのは私だけでしょうか?
天狗のうちわによく似た木曽路のもみじの紅葉を眺めながら、木曽路各地に伝わるの浦島太郎伝説と共に、藤村も悩んだ「これは何だろう」の天狗絵について、旅先の宿で藤村になった気分で考えを巡らせるのも、木曽路旅の楽しみのひとつだと思います。
作:とざそし まき
