- 日本の夏景色
- 2015年07月10日
梅雨に入ったばかりの6月の雨はやさしく静かに降ります。
そして、夏至が過ぎた頃からの梅雨の雨は重たくのし掛かる様な雨に変わります。
時折晴れ間が覗くと、隠れていた夏空が突然に眩しく光ます。
梅雨のどこか煙った様な時間は、夏の日を夢見る時間になります。
カーペンターズの「雨の日と月曜日は」(Rainy day and Monday)、ユーミンの「ベルベットイースター」等の1970年代の曲が流れるとふと立ち止まり、雨を眺めたりして雨音を聞きながらぼんやりとした長い時間を過ごす。
何もかもが寛いでいるので、気も早らない。
今で言うとそんな感じの雰囲気の中で藤村は「短夜の頃」を書いたのでしょう。
都会のマンションではすっかりと「死語」になりつつある、
「蚊帳」=どこでも蚊取りマシーンが王座に就いています。
「簾」=現代ではオーニングがその座にとってかわりつつあります。
「うちわ」=サーキュレーター、扇風機、冷房機器に乗っ取られています。
「素足」=冷え対策と踵ががさつかないように、夏でもしっかり靴下でガードされています。
について筆を走りはじめ、「茶」「泥鰌」「夏野菜」「黄昏と夜明け」「夏の月」「芭蕉」へと続いて心を馳せています。
都会暮らしで憧れる「夏の田舎暮らし体験」は、藤村がこのエッセイにぎゅぎゅと込めた「日本の夏の楽しみ」を追体験する事だとも思います。
ひと昔前の日本のどこでも見られた「日本の夏景色」も段々と様変わりし、「盆踊り」「花火」もひたすらエンターメント化している様に思います。
幸いにも、木曽路にはまだまだ「昔の日本の夏休み」を追体験できる雰囲気が十分に残っています。
雨蛙を捕まえ、オニヤンマやギンヤンマを追い掛け、セミを獲り、大きな揚羽蝶に驚き、川で遊び、蛍の光に目を細め、1日遊び疲れて蚊帳の中で眠りに着く時、いつかあの日の「日本の夏」が「今、ここ」にある事を感じるのではないでしょうか?
作:とざそし まき
