- 尾張藩
- 2014年06月05日
早朝は時折、雨が降っていましたが、曇りと晴れ間が交互に広がり、強い風が吹きましたがすっきりと恵那山が綺麗に見えていました。
半袖だとちょっと寒い感じですが、かなり快適です。
ふと「木曽街道」と「木曽路」って、イコールの同意語なのかしらん?とググってみました。
諸説ありましたが、ちょっと違うんだなと理解。
江戸時代に尾張藩から中山道までを結んだ街道のひとつを「木曽街道」と呼んでいたようです。
参勤交代の大名行列も通る、江戸幕府認定の重要街道のひとつであったそうです。
また「中仙道」についてですが、昔は「中仙道」と称されていましたが、これも江戸幕府よりのご通達で「中山道」に改められたという事です。
それでは、と「木曽路」について調べてゆくうちに、多くの「中山道ウオーカー」の方やそウオーカーさんを案内する「木曽路案内人」なる方々が「自分の足で実際に歩いた中山道の現在の細かいMAP」地図を作成されてネット上にアップされていました。
まるで山岳登山ルート地図並みの、なかかに素晴らしい「木曽路ガイド」になっていて思わず誰にも「歩いてみたい」と思わせる出来映えになっています。
これらのサイトですが、ご紹介の承諾を得ていないので、どうぞ「木曽路十一宿」や「木曽路」で皆さんご自身で検索してみて下さいね。
そしてもうひとつ「木曽」の素晴らしい案内ガイドサイトを発見しました。
こちらは公のHPなのでご紹介をしたいと思います。
それはなんと!木曽や木曽川の恩恵を受けて四百年以上の文化や人の強い繋がりのある「尾張藩」・・・つまり現在の「名古屋市上下水道局」の公式サイト「水のライブラリー」です。
このサイトの中の「水によせて」という項目に木曽の歴史、暮らし。水、森についてがコンパクトにまとめられていました。
観光ガイド、というよりも「木曽に観光に行った時に事前に知っておくと木曽路の観光がとてもより奥深い旅になる」という情報だと思います。
木曽川の源流の木曽の山を大切に守る事が、如何に下流の尾張藩にとって政治的に重要であったか、そしてそれは現代においても全く変わらない大切な事である事が伝わってくる内容になっています。
道や水を管理する事の大切さを心得えていた事も、江戸時代の安定した繁栄を支えたのだと思います。
そんなあんな事を思いながら、どうぞ歴史ロマン溢れる馬籠宿、木曽路十一宿の旅路をお楽しみ下さい。