- 昔話
- 2014年03月01日
昔、といってもそんなに遠くない昭和の時代、それも昭和30年ごろから50年ごろまでの馬籠宿のお話を聞く機会がありました。
戦後から20年ぐらい経過した昭和30年代にはまだ各家庭でおかいこさん部屋があり、桑畑から葉を取ってきてはかいこに与え、さなぎから絹糸を取り糸に紡ぎ、機織りで反物に仕立てるという暮らしが残っていたそうです。
かいこが桑の葉を噛む「さわさわ」という静かな音がどこの家でも聞こえたのだそうです。
夏場は桑の葉が乾燥しない様に水を口に含みプーと撒きかけていたそうです。
紡績産業がまだ日本の海外への輸出産業の主流を締めていた頃の時代の話で、当時は現在の中津川市駅前のアピタの場所に大きな紡績工場もあったそうです。
馬籠宿ではかいこ、牛、鶏、等も家の敷地内で飼っていた家もあったそうです。
牛は江戸時代より馬籠の急な坂で荷物を上げる為に「牛方」という運輸業もあったので昔から大事な労力とされていました。
そして馬籠宿の上と下に分けてそれぞれの家が交代で利用した「味噌蔵」という共同作業の家があり、そこでは「醤油」と「味噌」を桜が咲く頃になると作り始めたのだそうです。
醤油=たまり作りは豆に麹の花を咲かせる為に寝ずの番をして室の温度調節をしたそうです。
田んぼの畦で作った自家製豆で醤油、味噌を作り、収穫した米を精製する時に出る糠を使い自家製の糠漬けを漬け、庭で放し飼いにした鶏の卵を取り、ごちそうの時は鶏を締めて頂き、ごはんは近郊の美濃焼の陶釜で焼かれた茶碗によそおって頂く。
ごはんを焚く釜に焼べる薪は山から取り、ついでに風呂の湯も沸かす。
田んぼのタニシはみそ汁の具になり、山菜やキノコが食卓を賑わす。
にがりが手に入れば湯葉や豆腐を作り、山の獣も時には罠にかかる。
夕暮れ時は手を休めて顔をあげると恵那山を取り囲む山の端から月が上り、やがて星明かりが足下を照らす。
村という共同作業の場で自給自足がつい最近まで確かに馬籠宿には残っていた、日本の村の暮らしが息づいていた、そんな何気ないあたり前だった馬籠の暮らしの話はどれだけ聞いても楽しく、尽きないものです。
馬籠宿に限らず木曽、妻籠、蘭(あららぎ)等の60代以上の方はそんな時代を次世代に教えて頂ける大切な語り部の皆様です。
観光客の皆様もどうぞそんなお話に耳を傾けてい頂ければと思います。
そうやって街と広域的なこの地域の方々が出会い、昔話に耳を傾け、そして「昔ながらの日本の暮らし」を伝えてゆく事もできる場所になっていけるといいですね!
そして日本の方だけでなく、海外の方にももっと実際に「日本の昔ながらの暮らし」を雄大な自然の中で体験して頂けたらいいな、と思います。
そんな地域的な観光の拠点として馬籠館をご利用して頂ければと思います。