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藤村ドキドキ コラム

湘南の風に吹かれて
2015年08月12日

サザンオールスターズ、キマグレン、加山雄三、石原裕次郎・・・・

横浜、鎌倉、葉山から江ノ島、茅ヶ崎、平塚、大磯・・・・と書くと「夏だ!海だ!サーフィンだ!」と誰もが連想する、夏の海辺だと思います。

 

江戸時代が終わり明治維新後に早くに品川〜横浜まで鉄道が通った事で「ミナト・ヨコハマ」「横浜元町」は西の「神戸」と同様に多くの外国人が集い住んだ異国情緒溢れる町へと発展してゆきました。

そんな雰囲気に魅せられた当時の政財界や先進の文化人達の多くが、横浜から先の海沿の町へこぞって「別宅」や「お屋敷」を建てて移り住み、そしてその歴史は現代に引き継がれて現在でも多くのアーティスト達が居を構え、生活や活動拠点を置いている地域です。

 

島崎藤村もこの風光明媚な海岸線の町のひとつ、「大磯」に昭和16年に別宅を構え。そしてそこが終の住処となりました。

転居前に住んでいた東京麹町の邸宅から第二次世界大戦の戦火を逃れる、という理由でしたが当時60代後半であった藤村は「温暖な海辺」「砂の歩き心地」そして「生涯で最も気に入った書斎がある家」はとても居心地が良く、生涯で最も気に入った家となった、と静子夫人が書きしめています。

土地の人は「町屋園」と呼び、藤村自身は「静の草屋」と愛でたその家で、絶筆となった「東方の門」の執筆に情熱を注ぎ、そして夏の終わりを感じるある日の朝その家で突然に倒れ、翌日にその波乱万丈の生涯を静かに閉じています。

 

 

昭和18年8月21日の朝、執筆中の「東方の門」の原稿を静子夫人に「一寸読んでみてもらおうか」と願い、彼女が原稿を数行読み始めた時「ひどい頭痛だ」と小さく囁き、藤村は静子夫人に倒れかかります。

 

「どうしたんだろうね・・・気分も良くなってきた・・頭痛もしないよ・・めまいはちっともしない・・・涙を拭いて・・・」

「原稿が間に合うかね・・そう50枚あるしあそこで第3章の骨は出ているしね・・・・」

 

そしてそのまま庭に目をやってじっと見ている。

気持ちよさそうに涼風の過ぎるのをじっと感じている。

 

「涼しい風だね・・・・・・・・・・・・・涼しい風だね・・」

 

昏睡に落ち翌日22日午前0時過ぎに永眠。71歳。

未完となった大作「東方の門」は「和尚が耳にした狭い範囲だけでも・・・・」の一文を最後に絶筆となりました。

「東方の門」は第2章まで中央公論より発表されています。

 

山深い木曽の「馬籠宿」に生まれ、湘南の風に吹かれて「大磯」で島崎藤村は生涯を終えました。

藤村は最後に見ていた夏の終わりの庭の草景色を眺めながら、「ふるさと」の馬籠宿の夏の景色を思い重ね合わせ、夏の終わりの朝夕に恵那山麓の谷を渡り始める、少し秋を感じる「涼しい風」を心に感じていたのかもしれませんね。

 

8月22日は「藤村忌」。

島崎家の菩提寺、馬籠宿の永昌寺には分骨され収められた藤村のお墓があります。

島崎藤村の生涯でゆかりがあったそれぞれの土地で、藤村忌が静かに営まれます。

 

作:とざそし まき

P1000491

 

 

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