- 桝形、水車小屋、常夜灯と阿弥陀堂
- 2013年11月04日
馬籠宿下入り口より「車屋坂」を進むと、右手に「阿弥陀堂」があり、そこから急峻な坂道が2度に渡り90度に折れ曲がっています。
戦国時代直後の初期江戸時代、徳川幕府は国内全ての街道の宿場町に敵の侵入を拒む「桝型」と呼ばれる軍事要塞機能を持つ場所を必ず設置しました。道の山手側は城郭建築の様に石垣が築かれています。
馬籠宿の桝形は狭い山の尾根の地形を巧みに利用して作られています。
桝形のある車屋坂の名前は一説には水車があったので車屋坂と呼ばれた、と言われています。
明治13年に明治天皇の行幸に随行した岩倉具視の人力車が,この坂で止まりきれずに家に突っ込んだ,というエピソードがあります。
1つめの桝形の角に阿弥陀堂があり、天台宗京都大原三千院ゆかりの阿弥陀堂と言われています。
2つめの桝形の角に馬籠宿のシンボル「大きな水車小屋」があります。
桝形の脇には江戸時代の夜間の街灯であった「常夜灯」があります。
現在、水車小屋内には既存の水車を利用し、平成22年3月に総務省の「緑の分権改革」推進事業を受け「小水力発電設備」が設置されています。
発電量は0.9W。発電された電気は、水車小屋のライトアップ、水車小屋 の室内照明、常夜灯、ディスプレイの電力に使用されています。
馬籠宿下いる入り口から水車小屋までの坂道は「江戸時代に通された階段の道」と「明治時代に改修された道」が並んで通っています。
桝形の坂道を登りきった場所から振り返って望む恵那山は、旅情を掻き立てます。